第6景 「馬喰町初音の馬場」
(安政四年(1857)九月 春の部)
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柳が芽を吹く春の日、干された反物がのどかに日を浴びている。干したのは西に数町離れた
神田紺屋町の職人である。紺屋は広い干し場が無ければ商売にならない。しかし、住宅が密集
する江戸での干し場確保は決してのどかな仕事ではなかったようだ。
特に享保期(1716〜36)、防火対策の一環として、塗屋造り(建物の外壁を塗り壁にする)が
命じられ、紺屋はそれまで木組みだけの3階を干し場に使っていたが、それができなくなった。
そこで、この初音の馬場とか火除け会所地とかの公共の広場を借用することとなるが、町内間
の利害などがからんで、広場利用権は安定したものではなかったらしい。紺屋の干し場を
めぐる訴訟の一件が、「火除会所地一件」として千代田区史に掲載されている。
画は摺りに施された工夫によって、全体に柔らかで優美に仕上がっている。空と反物の
色の調和もさることながら、画を直接見ないと確かめがたいが、白の反物に布目摺りの技
法が施されており、布模様がほんのりと表面に浮き上がっている。
「江戸名所図会」を見ると遠景に浅草御門があり、その左手は柳原土手の柳並木で、火
の見櫓が馬場の南西端にあると分る。その右手は馬場の外周にしんし張りを干している。
広重「絵本江戸土産」は「かくのごとき火見あり。それにつづきて馬場あり。これを初音
の馬場といふ。両縁に柳数株を植うる。常に馬術の稽古をなせり。」と南から火の見櫓を描
き、遠景の柳に「柳原土手」と記し、右手に反物が干されている。
従って、この画は馬場の東側中程から南西方向に火の見櫓を見た、ことが分る。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による