s 浮世絵と図会+による江戸の橋めぐり・上野三橋

浮世絵と図会+による江戸の橋めぐり ・ 上野三橋

◆下谷広小路は両国広小路などと同様に火除地として設けられ、北側には寛永寺の黒門があった。
◆その南側には不忍池を水源とする忍川が西から東へ広小路を横切って流れ、この川に三つの橋が架けられていた。
◆三つ並んでいた橋は、三橋(みはし)と呼ばれた。三つの橋の内、両側の橋は一般庶民が渡り、中央の橋は徳川将軍が上野寛永寺を参詣する際に通行する橋で 「御橋」(みはし)と称されたという。(御成道)
◆中央の橋は幅六間、左右の橋は幅各二間、幅は三橋合わせて十間あったと云う。長さは三橋とも三間余であった。
◆三橋とは別に忍川の下流に三枚橋と云われる橋があり、三橋と混同されるケースがあった。
◆この三橋は明治23年(1890)に内国勧業博覧会に備え一つの橋となった。
◆昭和初期に忍川は暗渠化され橋は消滅した。

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