s 浮世絵と図会+による江戸の橋めぐり・昌平橋

浮世絵と図会+による江戸の橋めぐり ・ 昌平橋

◎昌平橋の変遷
◆創架は寛永年間(1624〜1644)と云われており、時期により「新し橋」「相生橋」「芋洗橋」などと呼ばれていた。
◆元禄4年(1691)に徳川綱吉が孔子廟である湯島聖堂を建設した際、孔子の生誕地魯国・昌平郷に因み「昌平黌」(昌平坂学問所)と名付け、 近くの神田川に架かる橋を「昌平橋」に改名させた。
◆維新後の明治2年(1869)、新政府により「相生橋」に戻されたが、明治6年(1873)洪水により流失しその後再架されなかった。
◆明治6年(1873)旧相生橋(旧昌平橋)と旧筋違橋の間に、筋違御門の枡形の石垣を解体、再利用した石造アーチ橋の「萬代橋」(よろずよばし)、通称「眼鏡橋」が架設された。
◆明治11年(1878)、資産家高橋次郎左衛門により「萬代橋」の更に下流側に(現在の万世橋付近)通行料を取る鉄橋「昌平橋」が架設された。 (日本初のアスファルト舗装)
◆明治33年(1900)、新しい道路計画により旧相生橋付近に再架橋され、再び「昌平橋」と命名された。長さ12間(約21.8m)幅6間(約10.9m)の橋。
◆下流の萬代橋は「元萬世橋」(もとよろずよばし)、昌平橋は「新萬世橋」(しんよろずよばし)と改称された。
◆現在の「昌平橋」は大正12年(1923)に架け替えられたもので、神田川における最初の鉄筋コンクリートのアーチ橋である。

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=== 浮世絵 ===

=== 図会 ===


=== 橋の痕跡や現在の橋の様子 ===

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